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先斗町に雪が降る!第2章

ぶらぶらブログ「のんびりいこうよ」

 

最終日は昼過ぎの新幹線に乗る予定だったので、残された時間を有効に使おうと朝4時半に起きる。

まだ暗いうちに一人で四条堀川交差点近くのホテルを出て、とりあえず鴨川へと四条大橋目指して歩きだした。

四条通りは月曜日の早朝にもかかわらず、たまにジョギングをする人も見かける。

四条大橋に着いてもまだ夜は明けず、東山の稜線が少し白んでいるだけで鴨川は闇の中である。

大橋を渡り、昨日清水坂のお土産屋さんでもらった観光マップを頼りに祇園を散策した。

暁闇の祇園には静謐な侵しがたい空気がただよい、暗い路地を一人歩く自分がひどく場違いなようで後ろめたい気分になり妙に落ち着かない。
自然と抜き足、差し足、忍び足となり、鼠小僧次郎吉になった気分だ。

 

 

巽橋を渡り、白川沿いに鴨川に出るころには夜も明けてきて川の流れもわかるようになり、右手には遠く三条大橋が見える。

昨日来の右膝の痛みもさることながら、三条大橋の持つ忌まわしい過去に少し躊躇したが、せっかくの機会だから行ってみることにした。

三条駅の辺りは朝早い利用客もちらほら見受けられ、車の量もふえ、街が静かに動きだしている。

三条大橋を渡り終えると、左側に河原へと降りるスロープがある。
途中の自販機であたたかい缶コーヒーを買って、カイロ代わりに上着のポケットに入れた。

 

 

三条河原は昨日の雪がうすく積もり、人影もなく荒涼とした景色が広がっていた。

このあたりには千年の昔より処刑場があり多くの人達の血が流されてきた場所である、東海道の終点にあたる三条大橋のたもとには、罪人や権力闘争に敗れた者たちの首が晒された。

その歴史の中で最も忌まわしいものは、豊臣秀吉の甥にあたる関白秀次一族の処刑であろう。

高野山で切腹をさせられた秀次の、妻子、側室、侍女等三十九人がこの場へ引き立てられた。

秀次の子供は九歳の姫と六歳、四歳、三歳、一歳の四人の和子で、側室、侍女の中には十一歳を含む多くの十代の少女もいたという。

子供達が母親から取り上げられて次々と刺し殺され、息絶えた我が子を抱いた母親たちも首を刎ねられ、側室、侍女もろともに大きな穴に放り込まれた。

あまりの恐怖に途中からパニックになった現場は虐殺状態になり、その酷さに見物人の中には石を投げ入れて抗議する者や嘔吐する者もいたという。

人の世の虚しさ死の意味さえも理解できるはずのない幼な子や少女たちは、ただただ、抗うことのできない巨大な恐怖の中に身を置くしかなかっただろう。

処刑人は鬼の形相で幼児や少女たちを斬殺していったという。
鬼にでもならなければ出来る所業ではない。
彼らが心の救い安寧を求めたのは、菩薩像なのかそれとも不動明王だったのだろうか。

当時、鴨川の河原は現在の数倍の広さがあり、先ほど降りてきたスロープの20メートルほど奥にある瑞泉寺がまさにその場所である。

これまで幾度もイメージしたその情景が実際にこの場に立つと、断ちがたい生への執念の叫びが、大きな恐怖、深い悲しみ、痛みの情念とともに生々しく浮かんでくる。

この辺りは夏になると川床が設けられ納涼の客でにぎわい、河原では恋人たちが肩を寄せ合い人生を謳歌する人々であふれるという。

動と静、生と死。

大きな時の流れの中で表裏を成す生と死が、静かに絡みあいながら雪のように降り積もっていく。

想念の中にしばらく佇んでいると、ふいに背後の鴨川の堰堤の水音が大きく響いてきて僕の心はざわめき出した。
急に恐怖心を覚えた僕は逃げるようにその場を後にした。

 

 

やがて堰堤の水音も小さくなりホッとしていると、遠くに望遠レンズ付きのカメラでしきりに写真を撮っている外国の男性がいた。

僕もスマホを取り出し写真や動画を撮りだした。
最近、写真で記憶を補填しないとすぐに忘却の彼方となる。

歩きながら鴨川や対岸の風景、木屋町の古い料亭街、あちこち撮りまくる。
京都にいると何でも有難く思えてくる。
同じ風景を何度も撮っていることに気付くが、それでも撮らないとおさまらない。
そのうち、河原に落ちている石ころでも有難く思えてくる。

冬の明け方の鴨川で手袋を外して撮影に没頭していると、手が寒さで痺れてきて感覚がなくなってきた。
慌ててポケットで手を温めながらふとひらめいた。

「よく京都の冬は寒いと言うが、たぶん俺みたいに夢中になって写真を撮るから手が凍えてそう思うんじゃなかろうか?」
「これぞ京都だからこその成せる業だろう!」
「なるほど、なるほど。絶対そうだ!間違いない!」
「また一つ、真相を究明してしまった。フッフッフッ、天才だ!」

頭の上をカラスが一羽、東の空へ飛んで行った。
とか行かなかったとか・・・。

 

やがて四条大橋が近くなり、対岸に白川の流れ込みが見えてきた。
小魚が多いのだろう数十羽の水鳥がたむろしている。

また、ありがたく写真や動画を撮り、一息つこうとポケットから缶コーヒーを取り出したその時、
「むぉ、なんだなんだっ!どうしたどうした!」
数十羽の水鳥たちがいっせいに羽をばたつかせてこちらに突進してきて、瞬く間に僕のまわりに巨大な鳥山が出来た。

河原を一人、間抜けな顔をしてぶらついていた僕は、鳥たちの数十っ個の目にじっと監視されていたのだ。

籠の中の鳥ならぬ鳥の籠の中で、「なんかクレクレ!クレクレ!」と、僕の顔をのぞき込みながら飛びまわる鳥たちに、「ごめんね!ごめんね!」と謝りながら申し訳なさそうに缶コーヒーを啜る。

「なんか持ってんだろー!」
「オラオラ、早く出すもん出せや!このヤロー!」
としばらく飛びまわっていたが、やがて
「チッ、冷やかしかよ!」
「ふざけんじゃねぇぞ!バカヤロー!」
というような顔をして、あっと言う間に散っていった。

今度来るときは何か持ってくるからね!
すみませんでした!

鴨川で鳥にカツアゲされるとは!
アー恐かった!

 

 

四条大橋のたもとの階段を上がって通りに出る。
朝渡った時は暗かったのでもう一度橋を往復した。

橋の上は職場へと向かう人や観光客が行き交い、車の交通量も増えていて何となくほっとする。

橋の中ほどから下流の方を眺めると、南の空は明るく広がり、射し始めた朝陽に建物や河原も新しい一日の始まりを祝福するかのように輝き出している。

一転、北を見遣ると鉛色の空の下、雪化粧の洛北の山々を背に鴨川が静かに流れ三条河原はいまだ朝の眠りの中にあった。

 

ホテルで朝食を済ませて近くの二条城へ歩いて行く。
コロナのため建物の中には入れなかったので公園の散歩状態になった。

櫓跡に登って市街を見回してみると、東には東山がせまり西には嵐山が意外と近くに見えて、京都の街がけっこう狭いことに驚く。

これなら、歩くのはちょっときついけど自転車だったら楽しいかもしれないな!
今度来たときは自転車を借りて走ってみよう!

 

 

京都駅で駅弁と酒を買い新幹線に乗り込んだ。

走り出すとすぐに雪のために減速走行に変わった、積雪量は50センチぐらいはありそうだ。
この時期には高山村でもまだそんなには降らない。

窓の外の雪景色に「滋賀県は雪国なんだな〜」と感心しながら、冷えた弁当を食べ、冷えた缶酎ハイを飲んだ。

 

東京が近づくにつれて改めてこの街の大きさに驚く。

僕が東京に来てから四十三年が過ぎた、その間この街は二、三倍は大きくなったような気がする。
これからもますます巨大化していくのだろう。

最近、この街の持つエネルギーを少し疎ましく思えてきてる僕は軽い寂寥感のようなものを覚える。

そして、窓外を流れるビル群を眺めていると、今朝の四条大橋からの情景が遠い過去の記憶のような気がしてきた。

 

終わり

 

京都には、やはり恋する女性が似合います。
今日のおすすめの曲は、武田カオリさんの京都慕情です。

 

 

《あとがき》

京都から帰ってくると、いつもしばらくは心ここに在らずの状態になる。
今回も訪れてから既に一月以上経っているけど、いまだに体の一部を鴨川の河原あたりに置き忘れてきているような気がしている。
こんどは時間をかけてゆっくり訪れてみよう。
還暦を過ぎて人生の新しい暦を歩き出した僕にとって、何か道標になるようなものが見つかるかもしれない。

 

2022年2月1日