老兵は死なず! 第1章
甲斐犬リュウとの出会いは、5年ほど前、東京で会社勤めをしながら月2〜3度、週末高山村に農業の手伝いに通っていた頃の秋の早朝でした。
当時は田舎の癒しを求め、朝まだ薄暗いうちから起きだしポケットに小銭を入れて1〜2時間ほど、高原の爽やかな朝の空気の中を音楽を聴きながら散歩していました。
そして散歩の帰り道、バス停の自販機で缶コーヒーを買いベンチで「この惑星では・・・」とやるのを楽しみにしていました。
その朝も、トミー・リー・ジョーンズのように顔をしかめていると、目の前にキョトンとした顔で私を見あげている黒い犬がいます。
それがリュウとの運命的な出会いでした。
人の良さそうな優しい感じのお父さんに連れられています。
お父さんはとても気さくな人で、むこうから話しかけてくれました。
「どこの人? へ〜埼玉から農業の手伝いに! そりゃ大変だ!」
「犬の散歩も大変ですね」
「いや〜自分のために歩いてんだよ、今日は高山大橋渡って、役場を通って、上の橋渡って帰ってくるつもりなんだ」
めちゃくちゃ距離があります。
「えぇっ!そんなに歩くんですか!すごいですね!」
と、驚くとお父さんは嬉しそうにニコニコして「それじゃ、またね。」とリュウを連れて歩いて行きました。
それ以来、会うたびにちょっとした立ち話をし、リュウを撫で回すお付き合いが続いています。
リュウはとてもいい奴で、私が頭からシッポの先まで撫で回しまくるあいだじっとしていてくれます。
撫で回し終わっても、「もういいの?」「もう終わり?」「もっと撫でていいんだよ。」と、可愛い目で見つめてくれます。
そんな付き合いですが、一つ気になっていることがあります。
それは犬の名前は知っているけど、お父さんの名前を私はいまだに知らないということです。
家のものに聞いても「あ〜あの黒い犬を連れてる人ね。」「たしか坪井の人じゃなかったかな〜?」「名前なんつったかな〜?」と分かりません。
出会いがあまりにもスムーズだったためか、何となく聞きそびれて「まぁ、いいか、いまさら改まって聞くのも変だし」と放ったまま5年経ってしまいました。
第二章に続く